静岡一番モノガタリ/みかんと生産者ヒストリー
普通温州みかん、収穫量いちばん
JA しみず 営農部 柑橘果樹課 生産指導チーフ
小泉 政樹 さん
「いつも幸せの傍らに」
日本全国にみかんが広まったのは江戸時代。中国から現在の熊本に伝わり、その後和歌山での生産が盛んになったため「紀州みかん」と呼ばれるようになりました。伊予かん、せとか、デコポンなど、みかんにも数多くの品種がありますが、最もスタンダードなものは温州みかんです。静岡で温州みかんが経済的に普及し始めたのは明治になってから。三ヶ日町(浜松市)や清水(静岡市)、沼津など県内各地で栽培されるようになり、やがて青島温州や寿太郎温州といった静岡生まれの温州みかんが生まれました。
みかんは日本人にとって、実になじみ深い果物です。昔から「おこたでみかん」は冬の家庭における定番の光景でした。よく冬のお茶の間に登場するのは概ね11月〜12月にかけて収穫される「普通温州」と呼ばれるもの。静岡産の普通温州みかんは、そのなかでもいちばんの収穫量を誇ります。つまり、冬のお茶の間でいちばん親しまれているのが静岡産、といっても過言ではありません。
静岡市では昭和50年頃から国と県、地元の農協などとの恊働による、大規模造成が行なわれてきました。「これは食文化を守るための取り組み。 作業効率化による農家さんの労力軽減、高品質化などの目的で実施してきました」と、JAしみず柑橘果樹課の小泉さん。価格が暴落した昭和47年を境に、みかんの生産は全国的に落ち込んでしまったのだそう。畑は日当りのよい急傾斜地にあることが多く、重労働で作業効率も良くないため、生産農家も減少の一途をたどっていました。そこで、食の未来を守り、おいしい作物を継続的に栽培出来る理想の農業実現を掲げ、大規模な土地改良に舵を切ったのです。柑橘類に関しては現在、新丹谷地区や原地区など計13地区にて農地を造成。急傾斜の畑を平坦にし、畑地に車でいけるような農道の整備などを推進、みかんの安定供給を可能にしています。JAしみずは、造園に関わる人たちとの取りまとめや栽培品種の相談、集荷・販売を行いながら、静岡みかんの生産を支えてきました。 「みかんはお歳暮の定番であるとともに、お茶の間という憩いの空間で、いつもそばにある存在でした。その食文化を守っていきたい」。スタンダードだからこそ、いちばん親しまれている静岡みかん。これからもささやかな“幸せ”をお手伝いしてほしいと願います。
新東名高速道路清水ジャンクション付近、大規模造成事業により土地改良区となった新丹谷地区。清水港と駿河湾を見渡す絶景は静岡県景観賞を受賞。
静岡市の薩た峠周辺など急傾斜地の畑では昔から、作業負担軽減のためにみかんを運ぶモノレールが設置されている。
普通温洲みかんは三ヶ日を筆頭に県内全域で生産され、全国収穫量の約25%を占めている。
JAしみず柑橘果樹課の小泉さん(右)と望月計宏さん。果物の大きさや色、糖度、酸度のチェックなどを行なう柑橘共選場にて。